デザイナー交代劇
+ Boutique HANAYAがDiorに注目する理由
今回、ハイエンドブランドのファッション界「コンクラーベ」が終わり無事にデザイナーが選出、これまでに比べても以前に増してファッション界で話題になっていたデザイナーの交代劇。
デザイナー交代がいよいよ落ち着いたので何がどう関心を集めていたのか、
Boutique HANAYAから解説したいと思います。
デザイナーがどこにいて、どんな功績があったのかは
なかなか伝わりづらいのですが、これを聞けばなぜこのブランドが
最近注目されているのか、ブランドの真髄がわかった気がすると感じてもらえると思います。
【2025年ファッション大変革】Diorに新風!デザイナー交代劇から見えてくる「実力主義」と「原点回帰」の真髄
ファッション界は常に移ろいゆくもの。しかし2025年は、まさにその激動が加速する「大変革の年」となりそうです。名だたるラグジュアリーブランドで相次ぐデザイナー交代劇、そしてそこから見えてくる新たな潮流は、私たちのファッションに対する価値観を大きく揺さぶるものになるでしょう。
トップメゾンを彩る新たな顔ぶれ:実力者が牽引する「原点回帰」と進化
まず目を引くのは、その豪華な顔ぶれです。
LOEWE
ジョナサン・アンダーソンから元プロエンザ スクーラーの経験を持つジャック・マッコローとラザロ・ヘルナンデスが、ブランドの新たなクリエイティビティを確立しようとしています。彼らの持つモダンな感性と、ロエベのクラフトマンシップがどのように融合するのか、期待が高まります。
BALENCIAGA
デムナが去って、迎えられたのは、ヴァレンティノで手腕を振るったピエールパオロ・ピッチョーリ。彼の繊細かつ詩的な世界観が、バレンシアガの持つアヴァンギャルドな魅力とどのように呼応するのか、注目が集まります。というのもデムナの功績はかなり高いと思います。1919年にクリストバル・バレンシアガがスペインで創業したバレンシアガは、スペイン内戦を機にパリへ移り、現在はフランスのラグジュアリーブランドとして認識されていますが元はスペインブランドだったのです。スペイン王侯貴族御用達のオートクチュールハウスとして名を馳せた歴史を持ちます。そのバレンシアガを一躍現在のラグジュアリーストリートブランドへと驚異的に進化させたのがデムナ・ヴァザリア(前 メゾン マルジェラ、ルイヴィトン)なのです。
Maison Margiela
孤高の天才マルタン・マルジェラが1988年にパリで始め、現代ファッションの起点「衣服の再構築」を完成させました。簡単に言いますと、オーバーサイズという体のラインに合わせなくても綺麗な洋服が完成することを証明したのです。2014年からジョン・ガリアーノがデザイナーに就任しマルジェラと言えばジョンガリアーノとなっていましたが、この度グレンマーティンス(現DIESELデザイナー)が就任。
GUCCI
トム・フォードを始めとしたデザイナー達が築き上げたグラマラスな世界とは異なる世界を、バレンシアガをスターダムにのし上げたデムナが、どのような世界観を作り上げるのか楽しみです。
JILL・SANDER
前BALLYデザイナーでもあり、ボッテガヴェネタやグッチを経験したシモーネ・ベロッティがルーシー・メイヤー&ルーク・メイヤー夫妻の後任として就任。ブランドの新たな方向性が示唆されています。
Dior
最も大きな注目を集めるブランドと言えます。近年、大きな変革を遂げてきたDiorだけに、次に誰がその舵を取るのか、ファッション界の視線が集中していました。サンローランでその地位を確立したエディ・スリマン(前サンローランデザイナー)がローンチしたディオールオムをキム・ジョーンズがDior に改め開花、同時にFendiも兼任していた鬼才です。そんなレジェンダリーブランドのクリエイティブディレクターに就任したのがジョナサン・アンダーソン(前 LOEWEデザイナー)です。
ここで驚いたのが、彼の情熱と本気度です。なんとDior のウィメンズとメンズに加えて自身のブランド JW Anderson,それにUNIQLOとのコラボブランドUNIQLO and JW ANDERSONも抱えているのです!そうなるともう超人的なコレクションをこなすことになります。
年間18コレクションです!!そう、1年は12か月なので単純に考えて月に1回以上コレクションを生み出さねばならないのです。それもそんじょそこらのブランドではなくて、歴史あるハイメゾンDiorです。想像してみてください、例えば毎月発明品を発表、もしくは毎月ピカソクラスの芸術品を作り出せますか?というレベルです。皆さんが偉大なる大リーガー大谷翔平選手を毎月出産する様なもので、ありえないくらいすごいです。
新しい潮流:バズりから「実力」へ、そして「原点回帰」
これらのデザイナー交代劇の背景には、いくつかの明確な目的が見て取れます。
「実力重視」へのシフト: これまではSNSでアイコンにインフルエンサーを起用したり、「バズり」を出せる若手デザイナーに注目が集まる傾向もありましたが、2025年はメゾンのコアを深く理解し、ものづくりの原点を自身の視点を通して改めて解釈できる「実力者」にオファーが来る傾向顕著です。これは、単なるトレンドに留まらず、ブランドの確固たる価値と哲学を再構築しようとするメゾン側の明確な意図が感じられます。
「原点回帰」 新ディレクターがブランドの創業者や初期のクリエイションの精神に立ち返る動きが目立ちます。これは、激しいトレンドの移り変わりの中で、ブランドの「核」を再確認し、普遍的な価値を再提案しようとする試みと言えるでしょう。昨今のファッション業界は2極化しているとも言われています。手に取りやすい価格の物は溢れかいっていますし、もう一歩で上質で気持ちを豊かにしてくれる良いものは価値を高めています。安さなのか、価格はするけれども上質でライフスタイルを彩る物を求めるのかは1人1人の価値観にゆだねられています。
2025年は、まさしくファッションの歴史が新たなページをめくる年となるでしょう。ベテランの「実力者」たちがメゾンの原点を見つめ直し、自由な発想で既存の枠を打ち破る。複雑に絡み合いながら生まれるファッションの未来は、もっと魅力的なものになるに違いありません。
また個人的に注目しているのは2025ー2026AWからスタートを切るクリエイティブディレクターに就任したジョナサン・アンダーソンのこれからのDiorです。マリア・グラツィア・キウリの華麗なる9年のDiorウィメンズとキムジョーンズが構築したメンズの世界をどう私たちに魅せてくれるのかとても楽しみです。Diorはクリスチャンディオール氏が日本女性についてもたびたび言及するほど日本人女性を美しく魅せる事に力を注いでくれたブランドです。
Dior
時代を超えて輝くDIOR:創設から現代まで、その壮麗なる軌跡
ファッションの歴史に燦然と輝くその名、DIOR(ディオール)。1946年、クリスチャン・ディオールによってフランスに誕生したこのラグジュアリーブランドは、単なるファッションブランドの枠を超え、美と革新の象徴として世界中の人々を魅了し続けています。
©Makiko Ono
夢を追い求めた創業者:クリスチャン・ディオールの意外なキャリア
裕福な家庭に生まれたクリスチャン・ディオールは、当初、外交官を志してパリ政治学院に入学します。しかし、彼を真に惹きつけたのは、当時流行していたシュールレアリスムの世界でした。彼は画廊を開設し、あのピカソやマックス・ジャコブといった巨匠たちの絵画を扱うほどでした。
しかし、1930年の世界恐慌という大きな波が彼を襲います。父親の会社の倒産、そして自身の画廊も閉鎖に追い込まれ、クリスチャン・ディオールは生きるためにファッションの世界へと身を投じることになります。この苦難が、後に世界を席巻する偉大な才能を開花させるきっかけとなったのです。
「ニュールック」の誕生と世界への飛躍
1946年、満を持して独立したクリスチャン・ディオールは、翌年、華々しくパリコレデビューを飾ります。彼のブランド立ち上げやパリコレデビューを強力にバックアップしたのは、実業家のマルセル・ブサックでした。彼の才能にいち早く気づいた人物としても知られています。
そして、世界最古のレディースファッション誌「ハーパーズ バザー」の編集長、カーメル・スノウが「まさにニュールック」と発言したことから、クリスチャン・ディオールのモードスタイルはニュールックと呼ばれるようになります。この革新的なスタイルはパリを飛び出し、瞬く間に世界中で大ブレイク。1950年代には、クリスチャン・ディオールがパリのモード界を牽引していたと言っても過言ではないほどでした。
受け継がれるDiorの魂:若き才能から現代の巨匠まで
しかし、栄華を極める中、1957年にクリスチャン・ディオールはイタリアへの旅行中に心臓麻痺により52歳で急逝。突然の訃報は世界に衝撃を与えました。彼の死後、ブランドを支え、その精神を受け継いだのが、クリスチャン・ディオールが初めて弟子にした人物、イヴ・サンローランでした。当時21歳という若さながら、イヴ・サンローランは1960年まで主任デザイナーとしてメゾンを支え続けました。
その後、1970年代に経営が悪化したDiorは、1989年に現在のラグジュアリーグループの頂点であるLVMHグループに買収されます。そして、2001年秋冬には、クリスチャン・ディオールのメンズコレクションラインとして、ディオール オムが発表されます。アーティスティック ディレクターにエディ・スリマンを迎え、ロックスタイルやスキニーパンツをトレンド化させ、一大センセーションを巻き起こしました。
さらに2018年には、キム・ジョーンズがディオール オムのアーティスティック ディレクターに就任したことがファッション界で最も衝撃的なニュースの一つとして報じられました。ビッグブランドのラグジュアリー化のパイオニアとも称される鬼才キム・ジョーンズによって、ディオール オムは「ディオール」へとブランド名を改め、ノーブルなストリートスタイルのエッセンスを加え生まれ変わりました。彼は、エディ・スリマンともクリス・ヴァン・アッシュとも全く異なる新たなディオールを誕生させ、ファッショニスタを大いに熱狂させました。キム・ジョーンズの就任により、ディオールの注目度がさらに高まったことは言うまでもありません。彼の才能は、ロンドンの名門セントラル・セント・マーチンズ芸術大学在学中から抜きん出ており、卒業コレクションのワードローブをジョン・ガリアーノが購入したという逸話も残っています。
最近では、2025年1月24日には、キム・ジョーンズがフランス政府による最高位の勲章、レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを受章したというニュースも報じられました。彼は2020年9月から2024年10月まで「フェンディ」のアーティスティック・ディレクターも兼任しており、現代のファッション界における彼の影響力の大きさを物語っています。
Diorと日本:深い絆で結ばれた関係
Diorと日本は、深い絆で結ばれています。クリスチャン・ディオール自身も1957年に
「日本の女性は、類のない固有の美しさを備えています。彼女たちには、その大きな魅力となる優美な繊細さをぜひ保ち続けてもらいたいのです。日本の女性たちが着物を今日まで手放すことなく、伝統とモダニズムを上手に組み合わせる術を心得ていると聞くと、私は大変うれしくなります。いつの日か日本を訪れ、こうした様子を自分の目で確かめることを願ってやみません。なぜなら、前からずっと、私は日本を愛しているからです。」
と語っており、日本の美意識と女性たちへの敬意を表していました。1959年4月、当時皇太子妃になられた美智子様は、ご成婚の人道の儀式では伝統的な十二単を。そしてその後の祝賀行事では、イブサンローラン手掛ける3着のディオールドレスをお召しになりました。1着目はオープン馬車のパレード用のデイドレス、他2着は夜のレセプションパーティーのためにイブニングドレス、クリスチャンディオール亡き後もディオールは日本女性に夢を与えてくれました。
Chiristian Dior Et Le Japon
”Japanese women have their own characteristic type of beauty, and they must at all costs keep this delicacy which is their greatest charm: I am delighted to learn that they have not abandoned the kimono and that they know how to combine modernism with tradition so well.
I really hope to go to Japan one day to see this for myself, for I have always truly loved this country." Chiristian Dior, 1957
©Makiko Ono
いかがでしたでしょうか。Diorの壮大な歴史と、ハイメゾンの真髄を表現する時代を彩ってきた才能あふれるデザイナーたちの物語に触れていただけたなら幸いです。これから東京の街でハイメゾンを見かけたときにきっと見る目が変わってくると思います。これでみなさんもこれまで以上にファッション通!
Boutique HANAYA